- 説明
- 日本海に面した越後糸魚川から信州松本まで約30里、120キロメートルを結ぶ千国街道は、またの名を塩の道とも言われています。
大名行列が通ったような華やかな道ではありませんが、大自然の森林地帯の風光を歩くこの古道は物流交易の道として重要な役割を果たしました。
信州側から越後へは木綿やたばこなどが、越後側から信州へは塩や四十物と言われる海産物などがはるばると峠を越え、姫川の流れを渡り運ばれました。
5月はじめの八十八夜から、雪の訪れる11月下旬の小雪までの約半年間、日本海側から塩や四十物を背負った歩荷や牛、牛方が行列をなしたといわれています。牛方とは、牛を使って荷物を運ぶ人を言いますが、一人前の牛方になると一人で6頭もの牛を連れたといわれ、ウシヒトエメイと呼ばれました。
冬になると信越県境は雪深く、牛が歩けなくなるため人が荷物を背負う歩荷さんが活躍しました。歩荷さんは一人で凡そ47キロの入った塩俵に加え四十物などを背負子といわれる道具で背負い、数人から十数人が一団となって雪の峠や山坂を越えて荷を運びました。
街道沿いには積雪が5メートルを越えるようなところもあり、人々はその苦労に敬意をこめて、ぼっかさん、ぼっかさ、とサン付けで呼んだといわれています。
歩荷も牛方も、どちらも沿道の農民たちが担い、日銭稼ぎの場として重要な仕事でした。
ちなみに戦国時代、越後の武将上杉謙信が仇敵である甲斐の武田信玄に塩を送ったという義塩の有名な故事もこの道が使われたといわれています。
現在小谷村には塩の道をめぐる8つのコースがあり、各々が繋がりあって糸魚川へと通じています。